というお題はちょっと大げさかもしれないが、ある意味事実。自分の父親一家は太平洋戦争の終戦を朝鮮半島(今の北朝鮮)でむかえ、家を失いソ連軍に追われながら、浮浪者同然の生活を強いられ日本への帰国を誓い生き抜いてきた。帰国までの10ヶ月間、父親(自分の祖父)と幼い妹2人を栄養失調で失い、タバコの吸い殻を拾い集め作ったタバコを売って生計を立て、9歳の叔父、6歳の父と祖母の3人で真夜中の海岸線から決死の覚悟で38度線を超え生還した。今年で104歳を迎える祖母も2歳と4歳の愛娘を自分の腕の中で失った話には今でも涙を流す。これらは昔から父によく聞かされてきた話である。戦争の話はテレビや本で語り継がれているが自分の中では家族のこの話が戦争の悲惨さの代表として大きく胸に刻まれている。そんな家族の話が今月講談社から活字となり出版された。この戦争の話がメインではないが第一章「朝鮮からの帰還者」の部分で50ページに渡り書かれている。
本の題名は「神宮の奇跡
」「Always三丁目の夕日」の時代と同じ昭和33年に東都大学野球でたった一度だけ学習院大学が三つ巴の死闘と言われる3度の決勝戦の末、優勝を手にしたことがある。その決戦には今の天皇陛下も駆けつけ、優勝の3日後には皇后陛下との婚約が発表され日本はミッチーブームとともに高度成長期を駆け抜けていく。この物語の主人公、当時の学習院のエースが自分の叔父、井元俊秀である。朝鮮からの帰還した叔父は、勉強と大好きだった野球に没頭し、ある理由から学習院大学に入学する。当時の学習院野球部には甲子園経験者など一人もおらず、叔父も天才的なピッチャなどではなかった。しかしバッティングピッチャーとしての下積みの中で絶妙なコントロールを身につけチームワークと粘りで奇跡の優勝を勝ち取る。中島みゆきの歌が聞こえてきそうなプロジェクトX的な話である。叔父の活躍は知っていたものの本となって読む叔父の勇士と初めて知る学習院の仲間達との戦いには久々の興奮を覚える。
奇跡の経済成長を果たしたこの時代の日本人の力強さを改めて感じるとともに、今の我々にかけてしまった何かを探し出すチャンスを与えてくれる一冊。一人でも多くの方に是非読んで頂きたい。
そして家族の苦労の歴史を形として残してくれた叔父にこの場を借りて感謝の意を表したい。
この本で改めて知った叔父の功績は以下。身内ながらスゴい。。。
- PL学園第一期生、在学中に野球部を創設
- 学習院時代に打ち立てた今も破られていない「最小投球勝利記録」73球
- 学習院大学野球部史上、唯一の東都大学一部リーグ優勝時の最優秀投手
- 昭和37年PL学園監督就任甲子園初出場でベスト8、その後三季連続甲子園出場
- 平成13年の定年までPL野球部にて桑田、清原、福留をはじめとする人材の発掘、育成
叔父は現在でも青森山田高校の教育顧問として、学生と共に「野球の夢」を追い続けている。