最終目的地であるマドリッドへはロンダから電車で移動。 さすがにマドリッドの駅は近代的、構内にはボーダフォンの広告が一面に張り出されていた。スペインではiPad2の接続で非常にお世話になっている。正直日本で接続しているより3Gの速度は早いように思った。
ここでのホテルもまたまたTabletを利用しHotel Silken Puerta America Madridに2泊することにした。ここは一般的なデザイナーズホテルって感じでありフロア毎に違うデザイナーがデザインしてるとのこと、チェックインの時にiPadで空室のデザインを見せてくれ気に入った部屋に泊まらせてくれた。自分のチョイスした部屋は玄関とトイレの間のスペースがシャワールームになっていてドアがなく部屋のフローリングとシャワールームのスノコ部分が段差無くフラットになっている面白いデザインだった。
街の中心までは少し距離があるのでタクシーで移動、特に観光するわけでもなかったがスペインの靴ブランドYANKOを買おうと路面店を探したが、近年直営店は撤退し卸のみで展開しているとのことで伊勢丹的な店に行ってみたが、何か日本で見るものよりもデザインがいまいちな気がして購入断念。
夜は12時を過ぎた頃にサルサクラブへ出かけてみた。Webで調べてみたところ4件くらい見つけ3件ほど回ってみた。この日にサルサをやっていたのがRamdallというところ、12時に行ってみたがなんとガラガラ、店員に聞いてみたら人が入り始めるのは「1時前からだよ」とのこと。こっちが眠たくなってしまう。マドリッドのサルサは年齢層が少し高く、踊れる男女が少ない気がした。とはいえ3時半頃まではしっかり踊りホテルへ帰ると最上階のバーではパーティが行われており、宿泊者はカバーなしで入れるという。4時近かったが行ってみた。なんとこの時間でドンチャン騒ぎ絶好調であった。恐るべしマドリッド。 ここで2杯もヒートをたしなみ酔っぱらったアルゼンチン女子、フランス男子と共に盛上り初日終了。
2日目は会社の元同僚からマドリッド女子を紹介してもらっていたので夕方から会う事にしていた。原宿ラフォーレ前的なわかりやすーい場所を指定してもらい。難なく合流。地元民の行くカフェへ連れて行ってもらい。震災トーク。やっぱり情報は3月11日直後の情報はよく知っているがその後はあまり情報が流れていない様子でその後の日本の状況などをいろいろ心配していた。その後は二日酔いの友達達が徐々に集まりBarを移動しまた合流し最終的には7人で立ち飲みBarで食事。メンバーの多くは広告代理店やファッション業界の人たちでみんなオープンかつフレンドリー、そして英語が上手く会話も楽しめた。スペイン人はあまり仕事せずにシエスタしてるイメージがあったが彼らは朝9時から出社し夜も9時、10時まで毎晩仕事し「シエスタなんてしてねーよ」と言っていた。そして時々徹夜もしていると。どうやらシエスタは過去のもののようだ。結局このよるは5軒のBarをはしごし、スペインの飲み文化はBarの使いこなしにあることを学びマドリッドの夜を後にした。
翌朝は気持ちよく起き日本への旅路につくべく国内線でバルセロナへ移動するため空港へ向かった。40分前にチェックインカウンターへ行ったが、なんと既にクローズ。帰りの乗、一発目に乗り遅れた。これに乗り遅れるとバルセロナーフランクフルトの2便目も自動的に乗れなくなった。12時間後のフランクフルトー東京便に 直接乗るためなんとかチケットを買わなければならない。LCCではマドリッドーフランクフルト便は存在していなかったので、しかたなく高い便でも買うしかないと思い。ルフトハンザとイベリアのカウンターに行ってみた。驚いた。当日の数時間後のフライトを空港カウンターで直接買っても往復3万円程度であった。EU内とはいえ2時間ちょっとのフライトなので東京ーソウルのような感覚だと思う。しかし日本ではANA,JALのカウンーに行って当日の羽田ーソウル便を3万円では買えないだろう。やはり日本はまだまだ閉鎖的なマーケットであることを実感。
その後イベリア航空のチケットを無事購入しなんとか日本へ。。。
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