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泊まっているサンフェルナンド館にいた女の子に教えてもらった近くの美味しい屋台タコス。一つ3.5ペソです。確かに近くにたくさんあるタコス屋とは客の数が違う。鉄板の上にある4種類くらいの具から選び、ワカモレソースやライムなどを絞って食べます。日本で食べるのと一般的なのと違うのはこんな点かな。
なんか東京にあるメキシコ料理屋とは全然違う感じがする。数年前にメキシコを旅行した時に「自分達日本人は本当のメキシコ料理を知らないのかも」と思た事がある。今回もこのタコスを食べてまたそんな事を思い起こした。近くに来たさいには是非ご賞味を。
投稿情報: 03:06 カテゴリー: メキシコ, レストラン/カフェ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ワシントンDCを後にしメキシコシティに入る。5年ぶりのメキシコシティなぜかこの街に入るとちょっと緊張する。今までと違い夜の外出、一人歩きなどは注意しなければならない。宿についてからコンビニに行こうとした。
「夜、外出ても大丈夫ですかね?」
「まー取られるもの持たず走ってコンビニ行くくらいなら大丈夫じゃない。念のためダッシュね」
「ダッシュ。ですか?」
「うん念のため」
鉄格子の扉を開けコンビにOXXO(オクソ)までのダッシュする。久しぶりのダッシュ。しかもその俺を3匹の野良犬が吼えながら追いかけてくる。ダッシュが更に加速する。宿に戻ってきてからなぜか心臓の鼓動が激しくなり苦しい。そう、ここメキシコシティは大都会にもかかわらず標高が2200メートル以上あるのだ。
この日は酸欠のまま床につく。
投稿情報: 01:00 カテゴリー: メキシコ | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
ワシントンDCはなかなかいい街であった。NYほど都会ではなく緑があり、それなりに街では買い物もできる。レストランなんかも悪くはない。そしてここは美術館が充実しているのだ。有名なのはやっぱりスミソニアン。 そんな中一つお気に入りの美術館を紹介。ここでやっていたWolfgang Tillmans展、なんか彼の写真、自分が目指している写真のベクトルと近い方向にあるような気がした。一つ一つの写真に深いメッセージを感じさせられる。勉強になる。
しかし道のりは通し。
投稿情報: 20:01 カテゴリー: アメリカ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ここDCで泊めてもらっている友人に誘われ、その友達6人と共に郊外で2泊3日のキャンプへ。時差ボケとアフリカからのフライトの疲れがちょっと残る。しかしこのキャンプ、なんといっても面子が面白かった!! みんないい奴らなのはもちろんのこと個性が抜群。そしてこの中には複数の同性愛者がいた。今まであまり身近にそういう人がいなかったが、彼らのライフスタイル、周りの人への気配り、美的感覚、繊細さ、そしてトーク、個人的には学ぶべきところが多かった。散らかっているテーブルの上を皆が来る前に進んで掃除しフルーツを置きキャンドルに火をともしたり、キャンプファイヤーの周りに程よくインセンスを置いてみたり、その周りで過ごしやすいように木を組んでイスを作ったり。また写真のセンスも抜群によかったのが印象的だ。自分からしてみればどうでもいいような葉っぱを手にとり、
「ハートの形をしている」
と言って手のひらと共に写真を撮ってみたりと、彼らの心を動かされる瞬間や出来事があまりにも自分と違うこと、また身近な出来事に非常に敏感に心を動かされる彼らの感覚に自分は感銘を受けた。 なんだか自分が人として大切な感覚を忘れかけている事に気づかさてもらった気がする。これからは彼らを見習い少しづつ改めて生活していきたい。
キャンプ最終日、彼らに対しての御礼の気持ちから彼ら一人一人の名前を漢字で組み合わせその意味と共にプレゼントすることにした。漢字の意味を説明してあげてる間、注意深く聞いてくれたりその漢字をメモ帳や手のひらに書いたりと彼らも興味を持ってくれた。 そして逆に自分にもニックネームをプレゼントしてくれた。
「世界中を自由に飛び回ってるってとこから”Dragonfly”ってのはどう?」
前夜のキャンプファイヤーで自分のヒザにトンボが止まっていた事も印象的だったらしい。
このニックネーム、トンボって意味だけど自分はなんだか気に入っている。
この3日間、彼らと共に過ごし極東の島国”Nippon”に少しでも興味を持ってもらえここWashingtonDCで多くの友人ができたことを大変嬉しく思う。
また彼らの数人は来年の同じ時期に是非日本に行ってみたいとまで言ってくれた。いろんな意味で温泉に興味があるらしい。
>結局キャンプの連中とは意気投合しその後4日間毎晩のみ歩くことに。
投稿情報: 02:13 カテゴリー: アメリカ | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
投稿サボってました。
モロッコにグッバイした後、フランクフルト経由でアメリカ東海岸に到着。
ここでは友人の家にお世話になることに、当初はNYCへも行こうと考えていたが結局ワシントンDCを楽しむことに。
投稿情報: 23:26 カテゴリー: アメリカ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
予想もしない出来事の連続で毎日楽しませてくれたモロッコ。砂漠への旅を終え残り2日間
をマラケシュで滞在することにした。マラケシュに戻ってきてから周りの人々に少し変化を感じた。それはモロッコに入国した当初からしつこくあった物売りや物乞いなどが極端に少なくなった。自分の歩き方や周りへの目線の置き方などが到着当初とは違い落ち着いてきたせいだろう。知らず知らずのうちにこの国のリズムに馴染んできてるのかもしれない。
最終日、宿を出て荷物持って歩いていると今までしつこかった物売りの連中や物乞いも自分に向かって「Bon Voyage!」、「ByeBye」、「Have a nice trip!」などさまざまな言葉で声を掛けてくれる。なんだか最後はみんないいやつに思えてきた。去るのが惜しい。EarthCafeのオーナーBarakatは今までモロッコに対して否定的な意見ばかり言っていた。「この国はバカの集まりで大嫌いだ」「みんなモスク行ってギャンブルして、観光客にたかるバカばっかりだ」など。そこまで自分の国を言わなくてもいいのにといつも思っていた。その彼との車中での会話でこんな事があった。
「そういえばモロッコにはなんで来ようと思ったの?」
「モロッコは我々からみれば美しい国とされ、多くのガイドブックなどが発売されてるんだよ。人からの話やそれらの影響かな」
「ガイドブックにはこの国のことなんて書いてあるの?」
「悪くは書いてないよ」と答えると。
彼かがつぶやくように一言「良かった.」
普段は色々言っていても本心はやっぱりこの国を愛しているんだな~と少しジーンと来てしまった。
万感の思いと哀愁を胸にこの国に別れを告げる。
「Good bye Maroc」
投稿情報: 13:35 カテゴリー: モロッコ | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)
サイバー
思いのほかモロッコでもインターネット環境は進んでいた。インターネットカフェの目印は"Cyber" マラケシュなどの大都会はもちろんのことサハラ砂漠近くの村なんかでも沢山あった。砂漠でよく行っていたお店の名前は、サイバー@オアシス なんか笑ってしまう名前だった。砂漠まできてサイバーかよみたいな。しかもキーボードは砂でジャリジャリ。だいたい一時間5DH(60円)が相場、回線速度の早いところは8DHだったりもする。自分のPCを持ち込んで使わせてもらうことも可能である。ここモロッコではフランス語OSをメインで使っているそしてこれが日本人には曲者。AとMの位置がとんでもないところにあったり@の表示がなかったり非常に使いずらい。また日本後の入力ができないPCもしばしば、そんな時はこれが役立ちます。 自分もマラケシュのあるサイバーで見たのですがいくつかのサイバーではカーテンで区切られた個室の中にPCがあり、閉まっているところの隙間から中を見るとモロッコ人がエッチなサイトを見ていたりした。 イスラム教国でもIT革命の流れは止めれないのでしょうか。。。
イタバシ?
よく街中で「ハロー ジャパーン」「コンニチハ~」なんてすごく気軽に話しかけてくるやつがいます。砂漠であるガイドに「ニホンジン?」と話し掛けられ、そうだと答えると「トウキョウのどこなの?」なんて英語で聞かれた。この人に中目黒なんて答えても分からないだろうなーと思い、「言っても分からないでしょ?」と答えようとすると、向こうから「イタバシ?」なんて言ってきた。一瞬の隙をつかれ吹き出してしまった。なんでサハラ砂漠のガイドが東京の地名を知ってるのだろうか、しかも新宿、渋谷とかならまだしも板橋とは。。どこの誰が教え込んだのだろう。そのガイドは自分の笑いっぷりを見てどこか満足気であった。
名前
こっちでは自己紹介してもなかなか日本語の名前は覚えてもらえない。馴染みのない名前は覚えずらいようだ。何回自分の名前を教えても次の日には何のためらいもなく「ジャーパン」「ジャーパン」。ジャパニーズならまだしもジャパンかよと思いつつ教え込む事を諦める。あまりこういうを失礼だとも思ってないらしい。それにくらべモロッコ人の名前を覚えるのは簡単である。
自分の経験上圧倒的に「モハメッドさん」「アハメッドさん」「アリさん」が多い。この手の名前で人口の30%くらいカバーできそうな勢いである。アメリカの有名なボクサー「モハメド アリ」の名前、ここでは日本で言う「山田太郎」くらい平凡な名前なのかもしれない。
モスリムライト
モロッコで会った日本人Wさん聞いた話だが、最近モロッコでは「モスリムライト」というライフスタイルを実践する人が多いそうだ。何かというとゴリゴリのイスラム教徒ではないが、コアの部分はイスラム教。みたいなスタイルを言うらしい。多少のアルコールの摂取やお祈りも1日5回ばっちりしなかったりなど、西洋のライフスタイルでも順応できるためだと。しかしこのネーミングもなんかカワイイ感じがする。マルボロライトとかコカコーラライトのような軽い嗜好品をイメージしてしまう。 宗教のスタイルをなんかこのような軽いネーミングでつけてしまっていいものなのだろうか。ここに来て少し自分の中のイスラム教イメージが変わりつつある。。
*この話、モロッコ人の友人に聞いたところ「初めて聞いたけど面白いネーミングだね。じゃ俺は間違いなくモスリムライトだ」って笑っていってました。
屋台のオレンジジュース
マラケシュのフナ広場などではよくオレンジジュース屋さんを見る。フレッシュのオレンジをその場でしぼってくれ飲ませてくれる。マラケシュで仲良くなった友人に「美味しそうだね」というと。「飲むのはやめておけ」と言われた。理由は水で薄めて出す嘘っぱち100%オレンジジュースが多いらしい。でもどう見てもその場でオレンジを切って絞ってるから水を入れれる訳がないと彼に言うと。「彼らは見破られないように事前にオレンジの実の中にスポイトで水を注入しているんだ」と言う。日本人には思いつかない発想だ。
さすがに食えねー
砂漠にいたときのこと、宿で朝食、昼食、夕食、また砂漠ツアー中の食事など、食べたのはタジン、クスクス、サラダだけである。タジンは言うならば肉じゃが、クスクスはパスタを粉状にしたもの。あとは付け合せで必ず出てくるパン。さすがに味付けは変わるにしても洗面器くらいの大きさに肉じゃがが入って「ボナペティー!」と言われても辛いものがある。
最初の頃は親の教えを守り出されたものは全部食べていたが正直無理がある。また砂漠を越えて行ったベルベル人の村でも家に招かれてランチをしたが、ベルベル人美女の奥様にも「ボナペティー」と言われ皿に山盛りにした素のクスクスを出されたが流石にこれと茶だけでは不可能だった。日本で言えばてんこ盛の白米に日本茶といったところである。奥様には申し訳なかったが自分には限界だった。モロッコ人は毎日これで飽きないのだろうかと感心する。。。
味覚
味覚というか食べ合わせというか、日本人からすると不思議な組み合わせのものや不思議な食べ物を見た。食後のデザートに出てくるオレンジ、ほとんどのケースで上にシナモンがかかっている。なぜシナモンと居合わせた観光客の皆が思っていたが味は意外とわるくない。
砂漠ツアーで2日目に泊まった荒野のベルベル人宅で出てきたデザート。写真のピンクのザルにある食べ物、何かの種と蜂蜜が固まったような物体、みんなこれを口に入れ味を吸った後机の上に種を出して食べていた。お世辞にも美味しいとはいえなかった。みなこのデザート食べながら水色のコップの中にある白い液体を回し飲みしていた。白い液体はヨーグルトのような味がした。後で聞いたところ(ここの人は英語もフランス語も話せなかったので)ラクダの乳ではないかとの話であった。ラクダはコブに水が入っているくらいの知識しかなかったが乳も食料として飲めることを知った。
投稿情報: 19:19 カテゴリー: モロッコ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)