5月に幼なじみのKがカナダのオタワで結婚式を挙げることになった。GW空け次の週末だが有給とって週末に行く事にした。最初はオタワ一泊だけと強行スケジュールを考えていたが、少し休みを取ってNYにも遊びにいこうと考えている。まーできても2泊ぐらいだけど。NYにあるAce Hotelも気になるし、この時期ならまだ予約全然OKみたい。
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この国の玄関口、カトマンズに着くといつも空港前のタクシードライバーの勢いには驚かされる。みな自分のタクシーでホテルまでいかに高く連れて行こうかと。いままで行った国の中でも特にその勢いはすごい気がする。カトマンズではちょっといいホテルに泊まってみた。タメルのど真ん中にあるが昔ながらのカトマンズ風の建築であろうと思われる様式でたてらているKantipur temple guest house。スタッフのサービスも東京で言えば一泊4万クラスのホテルのような対応であった。それでも一泊5,000円程度。
タメルの街は6年前と変わらず活気に満ちあふれていた。相変わらず目に留まるのがシルバーアクセサリーショップとパシュミナショップ。せっかくなのでシルバーは細めのを一本購入。1,800円程度、買った店では「いいシルバーの見分け方はこうだ!」と円形のバングルを変形させ一直線にして見せる。いいシルバーは何度やっても折れないとのこと。6年前も見た気がするが確かに購入後なんどやっても折れはしない。そして他の店で同じことをやろうとするとたいていの店は腕にはめたり外したりするだけの変形でもNO!と言っていた。これが本当に品質に依存するのかは不明であるが。
その後は6年前世話になったネパール人、ランジットにも会った。彼はシルバーアクセサリー店を営んでいて6年前には彼の家のディナーに誘ってくれたり街の中をいろいろ案内してくれたりと当時はとてもお世話になった。その後は定期的にメールで連絡をとっていたりタイでビジネスをしている時に何度か会って食事したりはしていたがまたここカトマンズの彼の店で再会できるのは格別の思いであった。その夜はバックパッカーが溜まっているラウンジに遊びにいった。OR2Kという店に遊びにいった。欧米スタイルの食べ物が豊富でこれまた安くWifiも使い放題。なんか雰囲気は昔青山にあったラスチカスを思わせる感じであった。ここはおすすめである。
この街では6年前とは違い一つ驚く事があった。1日のある一定時間、街中の電力供給がストップされるのだ。ホテルにも停電時間割が張られており曜日によって変化する時間帯が提示されていた。聞くところに寄ると電力をインドへ売っているとのこと。そこまでして売る必要もあるのか。。。 こうして一週間のネパール旅行は幕を閉じた。 次はどこへ行こっかな。
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ポカラでのトレッキングも終わり、旅を共にした友にも別れを告げカトマンズへ戻る。この日の朝はホテルの上からもアンナプルナが素晴らしく良く見えた。空港に着くと飛行機の準備が整っていないとのことで少し待たされる事になった。空港の屋上はカフェがあり解放されていたのでそこでお茶を飲みながらゆっくりすることにした。世の中には自分に似ている人が3人いるとよく聞くが、空港の屋上には近所の不動産屋、中目黒エステートの宮川さんにそっくりの人がいたので思わす写真を撮ってしまった。
飛行機の中はこれまた小さく、左右1列ずつで後ろも10席ほどしかない。しかもオープンキッチンならぬオープンコクピットで操縦の具合がすべて見れる。スチュワーデスの機内サービスはキャンディを一つ配るだけ。
この後はカトマンズへ。
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いくつかの動画をYouTubeにUpしたので紹介したい。時間のあるひとはどうぞ。
トレッキング中に何かの集会から帰ってきた子供達の集団、我々にたいしてもオープンで人なつっこいのが見てよくわかる。
トレッキング中に会った老人、英語も全く話せないが普通に話しかけてきて、なんか通じあった感じもする。
ネパールの屋台スナック、女学生も食べていたこのスナック実は激辛でしっかり新聞のインクまで味わえる! 作っているお兄さんもこれまたCool!
ネパールではそこらじゅうで牛を見る事ができる。車が行き交う道路で自由に”う○こ”をしてペースを崩さない牛のこの姿!
投稿情報: 09:16 カテゴリー: 海外旅行 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
3日間歩き続けたトレッキングも今日で最終日、Sagarbotを後にした我々は一つ山を越え今日の最終目的地Begnastalへ向かう。そこからはバスを利用してPokharaだ。歩き出してからもいろいろな村や人の生活を見る事ができる。ひとなつっこいのは子供だけではなく村を散歩するおじいさんまでフレンドリーに声をかけてくる。言葉はわからなくても気持ちは通じるのだと改めて痛感。
この3日間歩いただけでそれぞれの村の建築や集落の風景にも様々な特徴があるのに気づく。ここはTalbesiという山と山の間の平地にある少し大きめの村だが集落の間の道は石畳になっていたり家はやたらとカラフルに装飾されていたりと山の中の村とはひと味違った落ち着く空間である。この町で食事をしようと思ったがここでは食べるところがないとのことでランチはおあずけに。
その後歩いているとオーガニックの蜂蜜を売っているという農場を見つけ、誘われるがままに中に入っていく。まずは試食しろとの事であったのでランチを食べていない一行には断る理由はない。ここの農場ではいろいろなものを作っているように思われたが我々はまずは目的の蜂蜜を試食することに。試食に配られた皿の中の蜂蜜をみると、4匹ものアリが入っている。これがネパール流のオーガニックのこだわりなのだろうか。空腹の我々はアリをよけながら完食するが、購入にはいたらず。
このあとは農場の前をちょうどバスが通ったのでBegnastalまで乗る事にしたが席がなく屋根に乗れとの指示で10人ほど乗っている屋根に一行はよじ 上る。舗装されていない山道をこれで移動するのは正直きつかった。振動や凹凸を超える揺れはまさにロデオ状態。右下の写真はその状況で記念に撮った一枚で あるがまともに撮れやしない。そのとき大きな揺れが上下におこった瞬間後ろの子供が2人バスの屋根から落ちた。2人とも後ろ向きで背中から落ちすごい音が していたが、2人はそのまま何事もなかったかのように立ち上がり走ってバスに追いつき飛び乗ってきた。恐るべしネパール人である。我々は何かが起こってか らではまずいと思いバスを止め歩くことにした。降りる時にバスの屋根にいたお客は我々に、「なんで降りるの掴まっていればノープロブレムだ」なんて言っていたが3mの距離から落ちれば常人にはノープロブレムなはずはないと迷わず降りた。 歩き続け日没前にはようやくBegnastalに到着し3日間のトレッキングを終えた。
投稿情報: 09:02 カテゴリー: 海外旅行 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
リピアニでの朝を迎え、一行は再び旅路につく、ここから先はSaklungというこのあたりの山の頂上を目指すことにした。
ネパール第二の都市ポカラを離れこの辺りまでくると村の人々の生活や人柄を肌で感じる事ができ都会の生活で麻痺した人間としての原点の生活を見る事ができ るような気がした。ここの人たちは電気も限定的にしか使えず、水道もろくに整備されていない生活をしているが、我々が通れば近所の人に挨拶するのと同じよ うに声をかけ、楽しそうに笑って生活している。また我々から見て恵まれていないと思われるような生活をしているが、誰一人として物乞いをする人はいない。 豊な生活とは何かを深く感じたトレッキングである。 Saklungはこのあたりでは見晴らしのいい丘のような所でありここで確か標高が2,000メートル。自分たちがこの後歩いていく湖が遠くに見える。
この後は2日目の宿泊地であるSyaklungに向かうが途中地図上の道がわからなくなり、一行は道なき道をひたすら進む。ここで一つ思ったのはこの国ではある村に向かって進んでいるとき通りがかった地元の人に道順を聞くと細かい行き方を教えず、必ず方角を指で示し「あっち」と一言で終わる。感じたのは道の概念が我々とは少し違い、道に従って歩くのではなく、向かう方角に向かって歩きその時に必要な道を通っていくかのようだ。常に毎日足下ばかり見て人生を歩んでいる自分にたいしてももっと目標を見据えて毎日を過ごさねばと、自分なりに反省したりもした。
また時間の概念も少し違うようだった。村までどれくらいかをよく「30分くらい?1時間くらい?」など聞いたが、ほとんどの人がズバッと答えられない。時間の感覚が少し違うようである。ほとんどの人が時計を持ってないし、家の中にも時計があるのをそんなに見ない。あまり時間を意識して生活しておらず日の出と日没だけを気にして生活しているようだった。我々の経済社会では9:00〜18:00の時間帯を中心に1日の生活が組まれていて、その前後の時間を有効活用するために時間を気にしながら毎日を送っているが、彼らの場合は電気もない生活をしているので1日の活動は日中に限られる。従って朝は6:00から活動し日没後夕食を食べて20:00には寝るといった生活である。この時間内でできることだけをやりできないことは翌日に行うのだろう。すごい人間らしい理にかなった生活だと思った。我々の場合は夜は夜で楽しい事がいっぱいで、早く寝てしまったらなんだか損したような感覚がある。今後は少し自分の生活も朝を充実される方向にシフトしてみようと思う。
2日目の宿泊地Sagarbotについた。ちょうどここで日没今日はここで泊まる事にしたが、なんと地図には村と記載されているがそこには家が二軒だけ、しかも普通の民家、しかたなく「泊めてください」とお願いすると「一泊50ルピーで飯が100ルピー」と快諾してくれた。なんと一泊夕食付きで170円程度である。
部屋は昨夜と同様、ほぼ外気と同じ気温。布団はあるとはいえ固い掛け布団が一枚だけ、これで朝は生きて目が覚めるのだろうか。。。 この家での救いは食事が美味しかったこと。もしかするとネパールで一番美味しかったかも。
投稿情報: 08:52 カテゴリー: 海外旅行 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ようやく日没前ギリギリにLipeyaniという村に到着した。ここは200人ほどが住む小さな村であるが学校があり周辺の村から下校する生徒の姿を見ることができた。村の人に聞くとここには2軒のゲストハウスがあるという、見晴らしのよさそうな少し高いところにあるほうにすることにした。
ここは一泊晩飯付きで250ルピー(280円程度)である。ゲストハウスと行っても現地の作りなので暖房器具なし壁は薄く隙間だらけなので部屋の中の気温はまったく外気と同じと言っても過言ではない。しかも与えられた寝具は掛け布団一枚。こんな寒い元旦の夜が未だ曽てあっただろうか。しかも布団は臭く、血が付着している。まーこんな山奥で寝るところがあるだけでもありがたいと思い2011年元旦初夜を迎える事になった。 左下は夕食の風景これだけ着込んでもめちゃめちゃ寒い。昼はTシャツでもOKだったのにこの寒暖の差はすごい。翌日は少し早く起きて朝日と山を見ようと思ったが霧がすごく山は少ししか見えなかった。準備が整い出発しようかと思っているとゲストハウスをきりもりしている若者の一人が実は学校で英語の先生をしているらしく、学校に遊びに来ないかと言われついていってみた。
夜会った時は子供だと思っていたがいざ教壇に立つと先生らしく子供たちに接していた。
投稿情報: 09:20 カテゴリー: 海外旅行 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
トラクターを降りた我々は、後続のバスを値切り乗車したあとカリKalikasthanという街についた。やっと山の中の街についたという感じがした。周りの風景もPokharaやKatomanduとは違ったゆっくりと時間が流れている田舎の風景が広がっていた。
ここからもう一つ先の街、Tiwaridandaに行ってランチを取る事にしたが結局着いてみるとそこの街には食事を取るところがないということが、老人のネパール語を解読したところ判明したためもうひとつ山を越え次の街、Sagreに到着した。
なんとこの街で野外でギャンブルをしている男性を多く見かけた。女性はしっかり働いているのに男性は真っ昼間からこの状態。オリジナルっぽいビリヤードらしきものとカードゲーム。みんな夢中である。下はその映像である。
ダルバールという地元料理を作れるという唯一の店を発見しそこに入った。なんと注文すると「今から米を炊く」とのこと、まーこの国では焦ってはいけない。注文して待たずにでてくるのは我々の文明社会だけだと心に言い聞かせゆっくりと料理を待つ。ダルバールの他にチャパティというナンのようなものも注文した。これも注文した段階から粉を練り始めるといった段取りだった。
以下はチャパティを焼いている様子。
さて次は今夜の宿までひと歩きだ。
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